【ゲイのための旅行ガイド】メキシコ・フリーダ カーロ(FRIDA KAHLO)を訪ねて(後編)

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ディエゴの情事が終わった後、今度はフリーダがロシア革命の指導者レオン・トロツキー、 流浪の彫刻家イサム・ノグチなどディエゴ以外の男女と関係を持つようになりました。

そんな時、レオン・トロツキーの誕生日にフリーダがプレゼントした「レオン・ トロツキーにささげた自画像」がフランスの詩人アンドレ・ブルトンの目にとまり、 1938年ニューヨークのジュリアン・レヴィ画廊でフリーダの初めての個展が 開かれました。

フリーダは自分が作る芸術は単なる趣味と考えていたので、第三者が興味を 持った事に非常に驚いたそうです。

その個展はとても評判が良く、フリーダ・カーロの名が一躍有名となり、 有名誌「ヴォーグ」では「マダム・リベーラ」と言及したそうです。

彼女が自立心を持ったのもこれが切っ掛けで彼女は翌年パリに旅立ちました。

フランスでの個展を終え、メキシコに戻ってきたフリーダですが、ディエゴとの仲が 決定的に悪くなり、11月に離婚しました。

この時期、フリーダは多くの自画像を描いてます。

レオン・トロッキーがスターリンの秘密警察の工作員によって暗殺されたり、 悲劇が続いたフリーダは、信頼する彼女の医者レオ・エラーサーに相談をするために サンフランシスコへ行きました。

この医者レオ・エラーサーはディエゴとフリーダの仲介役でもあり、別離に苦しんでいた二人を再婚させた人物です。再婚の条件は、彼女自身の生計費は自分で賄う事、性的関係は一切持たない事だったという。

後日ディエゴは以下のような事を言っています。
「私はフリーダを取り戻す事が出来てとても嬉しく、どんな条件でものんだ。」 この時、住んだ家は青い家だそうです。

1940年代、彼女の地位はメキシコの文化界では高くなり。

ラ・エスメラルダという絵画彫刻学校の教授にも招聘(しょうへい)されました。 学生達を学校から連れ出して町の風景を描かせたりと、人気のある先生だったそうです。

体調が悪く学校に行けなくなると自宅でも教えていたそうで、常に学生達の為に展覧会場の確保などにたゆまず努めていたそうです。

しかし、そんな彼女の幸せな生活を裏切るように、健康状態は悪化する一方で、手術を何度も繰り返すようになり、鎮痛剤が欠かせない状態にまで悪化、ベット生活が続きました。

そんな彼女を見ていた友人ローラ・アルバレスが「栄誉は、人が生きて享受できるうちに与えられるべきだ」として、初のメキシコ国内での個展を開いたそうです。

フリーダは医師の忠告に逆らい、ベットのままオープニングに出席し、お酒を飲み、歌ったそうです。数ヶ月後、右脚が壊疽(えそ)にかかりひざから下を切断することになりました。

1954年グアテマラの民主政権転覆に抗議し最後の政治デモに加わりその10日後、銀婚式のプレゼントを前もって夫ディエゴに渡し、1954年7月13日47歳という若さで息を引き取りました。

死因は色々言われておりますが、心筋梗塞や肺炎などといわれております。「人生最も悲劇的な日」。ディエゴは口も聞けず悲しんだそうです。

フリーダの遺体は、メキシコの民俗衣装に包まれ国立芸術宮殿に公式に安置され、 火葬後、遺骨は「青い家」に移されました。その1年後ディエーはフリーダとの思い出 詰まった青い家をメキシコ国に遺贈しました。

そして、1958年現在の青い家はフリーダ・カーロ美術館として開館する事になったのです。

彼女の生家やお墓、絵を教えていたという学校、全ては前編にも書いた通りコヨアカンにある「青い家」です。

ここに行けばフリーダの全てがわかるのですが、それでは物足りない!という方にはフリーダご用達のレストランをご紹介致します。フリーダはお酒を飲むときは自分の家か、あるレストランでしか飲まなかったそうです。そのレストランが「LA OPERA」です。

「フリーダ・カーロはテキーラが好きだったとか」

ソカロ広場から5 DE MAYOに入りEJE CENTRAL通りに歩いていくと右手に 「LA OPERA」という看板が見えます。

ここは、革命の英雄「FRANCISCO VILLA(PANCHO VILLA)」がその昔、馬に乗って やってきて余りにも気に入ったので天井に発砲したという曰く付きのレストランで、銃の玉の穴もちゃんと天井に残っています。

歴代の大統領も来ているらしいです。

お店の雰囲気は、入ると直ぐに大きなバーがあります。(また、このバーがとても かっこよい!!)店内はヨーロッパにあるようなお洒落なランプ、壁はアールデコ調の 模様で美しく、重圧感を感じさせ、135年の歴史を思わせます!

料理はメキシコ料理です。基本的にCANTINA(バー)なので特におつまみ系はとても 美味しいです。それだけでなくおつまみ以外でもちゃんと食事ができるのも嬉しい。 牛肉・豚肉・魚、全て美味しいのです。

気になる料金もソカロ付近のレストランのためか、意外と安く、1人$250ペソ(約$20)もあればビールなどを飲んで食べて十分満足できる金額だと思います。
(飲みすぎは別ですが)

さすが、メキシコ有名人ご用達レストラン、まだまだ、メキシコには知られていない 美味しい場所があるんだなと実感しました。

また、フリーダカーロが来ている民族衣装はさまざまな州のものなのですが、筆者が特に気に入っているのはオアハカ州のフチタンの民族衣装です。フチタンとは第三の性が当たり前のように存在する街です。

次回は、そんなオアハカ州をご案内します。

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MEXICO KANKO S.A.DE.C.V. (担当:宮良)

この記事を書いた人

メキシコ観光パートナー企業

宮良 高雄

見た目は日本人、国籍はメキシコ人。メキシコで生まれ、幼少時、日本に9年間住み、現在はメキシコに在住。奥が深いメキシコを少しでも多くの方に知ってもらいたく、日本とメキシコの架け橋になることを目標に日々頑張っています。是非メキシコにいらしてください!きっとイメージが変わることでしょう。

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