【ゲイのための旅行ガイド】メキシコ・フリーダ カーロ(FRIDA KAHLO)を訪ねて(前編)
- 掲載:2015年05月28日
- 更新:2015年07月30日
- 旅行・おでかけ
2003年8月、日本で上映されたハリウッド映画「FRIDA KAHLO」。 しかし実は彼女についてご存じではない方が殆どかと思います。今日は画家フリーダ・カーロの人生と、どんな人物だったかについてご案内したいと思います。
フリーダの本名:マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・カルデロン メキシコの歴史が変りつつある革命時の1907年7月06日にコヨアカンの家 (現在の青い家)にて生まれました。
母のマティルデはスペイン人と先住民族の混血、父のヴィルヘルム(メキシコ名= ギジェルモ)はハンガリー系のユダヤ人、その3女として生まれたフリーダは かんが強く機知に富み、頭が良かったそうです(父親のお気に入りだったらしい)。
フリーダカーロは、バイセクシャルでもあり、人間性溢れる女性だったそうです。 そんな彼女の最初の苦難は6歳に訪れました。ポリオにかかってしまい、右足が不自由になってしまったのです。
そんなフリーダの看病をしたのが母親ではなく父のギジェルモだったので、フリーダは複雑な心境だったそうです。
しかし、足はもとようには回復せず右足に障害が残ってしまいました。 学校では、棒足フリーダとあだ名がつけられ、それ以来フリーダは ズボンやロングスカートで足を隠すようになったのです。
それでも彼女は高校へ進学、現在のCOLEGIO SAN IDELFONSOというソカロにある学校に通い、夢であった医者への道を少しずつ歩んでいました。
※現在、COLEGIO SAN IDELFONSOは博物館として観光可能。
そんなフリーダに人生を変える大事故が更に襲いかかりました。 1925年(フリーダ18歳)ボーイフレンドにだったアレハンドロ・ゴメス・アリアスと下校途中、乗っていた乗合バス(ペセロ)が電車と激突、大事故を起こし、 フリーダの腹部に金属性手すりが突き刺さりました。
骨盤、鎖骨、脊髄、肋骨を骨折、痛めていた右足にも傷を負ってしまいました。 手術をしましたが背骨と右足の痛みが残り、初めて撮ったレントゲン写真では 椎骨の数ヶ所がずれているのが分かり、9ヶ月間ギブスをはめて寝たきり状態が 続きました。
そんな彼女が絵を書き始めたのがこの時期で、素人画家で写真家だった 父親が寝たきりの彼女に絵具を貸したのが始まりだそうです。
母親もベットにかぶさるように固定するイーゼルを作らせ、横になったまま自分の姿を描けるように鏡を張った天蓋(てんがい)を据え付けました。
これが、フリーダの孤独と苦痛の絵の始まりでした。
事故から3年後の1928年にやっと以前のような生活まで回復する事ができた フリーダは、友達の紹介でメキシコ1有名な画家で共産党執行委員のディエゴ・リベラと出会いました。
ディエゴ・リベラは183cm体重136キロという巨体でフリーダと 出会ったときは42歳だったそうです。
翌年、小さな身体のフリーダとディエゴが結婚しました。 フリーダの両親は「鳩と象の結婚」といっていたそうです。
1930年、フリーダは妊娠しましたが、事故による骨盤損傷のため妊娠期間に 耐えられる身体ではなかったため、中絶手術を受けました。
1930年ごろディエゴはフリーダと、サンフランシスコ証券取引所とカリフォルニア美術学校の壁画を描く為にサンフランシスコへ行き、その後、ニューヨーク、続いて デトロイトへと移りました。
アメリカの生活に魅せられていくディエゴとは逆に、フリーダは1932年デトロイトでは流産を体験してしまい、今度こそ立派な子供を産もうと決意していた彼女にとって今回の流産はひどい打撃でした。
その影響もあってかフリーダが持っていたアメリカのイメージはとても悪かったそうです。
1933年フリーダの帰国願望をディエゴが受け入れ、二人はメキシコシティに戻ります。その時建てられた家がサン アンヘルにあるディエゴ・リベラのスタジオ(ディエゴとフリーダの家とも言われています)です。
※ディエゴリベラのスタジオは現在美術館として見学可能。
それぞれ個別のアトリエと住居スペースがあるこの家はフアン・オゴルマンというメキシコ人建築家が建てました。
個別にするのはいくら夫婦でも良くないという事で、オゴルマンが屋上からディエゴのアトリエとフリーダのアトリエにつなぐ橋を設計しました。
当時としては最先端のアートシーンで国際的に活躍していたリベラにふさわしい、 二人の家が完成しました。幸せを待ち望んでいるフリーダの思いとは裏腹に、 この時期悲劇がまた襲いかかります。堕胎、手術、更にディエゴはフリーダの妹 クリスティーナと親密な仲になり、フリーダはこの家を出る事になってしまうのです。
続きは後編にて
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この記事を書いた人
メキシコ観光パートナー企業
見た目は日本人、国籍はメキシコ人。メキシコで生まれ、幼少時、日本に9年間住み、現在はメキシコに在住。奥が深いメキシコを少しでも多くの方に知ってもらいたく、日本とメキシコの架け橋になることを目標に日々頑張っています。是非メキシコにいらしてください!きっとイメージが変わることでしょう。