ゲイのカミングアウトについて4つの意見・考え方
- 掲載:2015年06月24日
- 更新:2015年07月21日
- オピニオン
こんにちは、飯塚モスオです。
ぼくはtwitter(@moscowmule_)でゲイの日常の経験に基づいた4コマ漫画を配信しています。
今回は、その中で、比較的反響が大きかった 「カミングアウトスタンスの4類型」について記事にしていただくことになりました。
ゲイについて大きなトピック…それは“カミングアウト”かもしれません。
最近では、日本でもカミングアウトをする政治家や、スポーツ選手など増えてきていますね。
…そう遠くはない、誰もが経験しうる身近な出来事になってきている気がします。
僕の周りに注目してみても、カミングアウトにまつわる立場や意見は様々です。
では具体的にどのような立場があるのか、4種類に分けてみました。
(※おおまかに表したもので、個人差がありますので、予めご了承ください。)
順応型
まずは、順応型。カミングアウトは場をわきまえるべきだと考えるタイプです。
誰も自分のセクシュアリティについて聞いてないし、関心もないし、それはお互い様なのではないか、カミングアウトをすすんでするのは自己主張ではないかという立場です。
情緒型
次に、情緒型。カミングアウトは前提にあるものと考えるタイプです。
なにも言わなかったら、異性愛者として話が進んでしまいますが、それは自分自身ではないのではないか。お互いの承認のもと、はじめて相互の理解が成り立ち、話し合いをするためにもカミングアウトは必要だとする立場です。
政治型
続いて、政治型。カミングアウトは積極的におこなうものだとするタイプです。
この社会は、異性愛中心の社会なので、身近にゲイがいることを認識させるのはもちろんのこと、ゲイが主張して権利を勝ち取ってきたからこそ今の暮らしがあるのではないか、権利を侵害されることがないようカミングアウトをすすめていこうという立場です。
超越型
最後に、超越型。カミングアウトという行為自体が不思議と感じ、 自分自身がゲイであることに、そこまで重きをおいていないタイプです。
セクシュアリティは揺らぐものだし、今後ずっとゲイの生き方をする予定もない(わからない)。
カミングアウトって仰々しく言っていますが、そこまでゲイであることにこだわるべきことなのでしょうか、人が人として生きていけたらそれでいいではないかという立場です。
僕がこの記事をtwitterで投稿したところ、
「自分は、政治→順応→情緒を辿ったわ。」など、考え方に変化(流れ)があるというコメントや、
「僕は、順応と超越を足して2で割ったものだ。」というコメントなどいただきました。
この4類型は、4つにスパっと切り分けられるものではないし、重複していたり、流動的であったりするようです。他にもここには載せていない立場の人もいます。
例えば、「私は相手の反応を楽しむ愉快犯タイプ」というコメントなどがありました。また新たな類型タイプが増えそうです(笑)
このように、カミングアウトという行為をひとつ取り上げても、人によって多種多様な考え方や生き方があることを改めて考えさせられました。
みなさんはカミングアウトに対して、どのような立場でしょうか?
またお聞かせいただけると嬉しいです。
ありがとうございました。